起業しようと考えるに至った経緯~エンジニア確保まで

はじめに

私は、専門紙に勤める社会人3年目の新聞記者だ。

まだまだ経験が足りない身ではあるが、行政や企業の担当になり、さまざまな取材をしてきた。

1000本近い執筆記事の中からは、対外的に実績として提示できる記名記事も増えてきた。

政府のとある戦略策定を追っていたときには、関連インタビューが内閣府有識者会議資料として引用されるなど、通常の25歳としては活躍する機会に恵まれたと自負している。

 

そんな私が、なぜ起業しようと思い至ったか。

それは、報道という業界の限界を感じ、それがどうしても嫌になってしまったからだ。

 

 

起業という思考に至るまでの経緯

報道への嫌気

2020年12月、とある大学の研究室が科学誌「Nature」に投稿した論文を撤回した。使用したデータに疑義があるとしているが、論文中にあった疑義の内容やその後の対応から、筆頭著者の大学院生(当時)による研究不正ではないかと疑われている(2021年8月15日時点で大学は不正行為について調査中)。

 

さて、この論文であるが、2019年の論文公開日数日前に文部科学省の12階にある会見室で、記者に向けたレクチャーが行われた。こうした発表はプレスレクと呼ばれるもので、素晴らしい研究成果が掲載されるとき、プレスリリースのほかに執筆者や研究実務者本人が記者に向かって解説する機会を設けるのだ。

 

発表者は、若くして高い実力を持ったその界隈の第一人者の教授だった。私は、大学での研究分野が近かったこともあり、その教授の研究室は当然のように知っていたし、憧れや尊敬の念を持っていたといっても過言ではない。

 

当時、社会人1年目、記者1年目だった私は、プレスレクで教授の熱のこもった迫真の解説を聞いて感銘を受けた。

それと同時に「発表前の研究を、分野の第一人者から直接聞くことができる。記者とはなんと素晴らしい仕事なのか」と強く感じ、それが仕事を続けるモチベーションとなった。

 

その研究の記事は、やはり業界にとってもそれなりにインパクトがあると判断されたのか、1面の左1/3、肩と呼ばれる部分で80-100行(約800-1100文字)ぐらいのサイズで掲載された。発表モノとはいえ、私が書いた中で初めて1面に大きく取り上げられた記事として強く印象に残っている。

 

私がこの論文取り下げを知ったのは、2本目の論文取り下げが発生した2021年2月のことだった。「これが本当ならば大変なことになる」と直感した。その論文で発表した手法を活用した企業との共同研究はスタートしていたし、類似の研究は、すべてその論文の圧倒的な性能にはかなわないと前置きし、自ら論文の価値を下げたうえで発表しなければならなかったからだ。事実、ほかの研究発表において、「(当該の)〇〇先生の手法はスペシャルだから」という説明を聞いたことがある(そのスペシャルというのは、今となって思い返せばもしかしたら皮肉だったかもしれない)。

 

正確な調査結果が出ていない以上、研究不正が行われたかどうかはまだ定かではない。一方で、論文が撤回されたことは事実であり、さも凄いことをやってのけたと書いた記事は、嘘を書いたことになってしまう。

 

構造的にどうしようもないことではあるのだが、多角的な取材ができない場合、単一のソースに頼らざるを得ないことがある。私が勤める専門新聞のような媒体では、その比率が非常に高く、取材相手の情報が真実でなかった場合に、その真偽を確かめる方法はほとんどない。結果として、意図的でなくても間違った情報を掲載してしまうことがあり、その情報をもとに、行動した個人や法人に対して誠実な対応が取れないのだ。

 

ともあれ、私がキャリアの最初に書いた1面の記事は全て偽りだった。解説した手法で迅速かつ大量生産が可能になることはおろか、目的の化合物すらできることはない。

 

こうした構造を身をもって体験した私は、ほんのりと業界への嫌気を感じ、転職することに決めた。

 

できることとしたいこと

さて、いざ転職をと考えたとき、自分はいったいなにができるのかを振り返る必要があった。

新聞記者は一般に、つぶしのきかないキャリアとして知られるが、実際に転職が望める範囲は狭い。企業担当をしていたことから広報は多少の望みがあるものの、ほかはwebメディアのライターなどが勧められる。広報は、各企業ごとの枠も少なく、いい待遇のポジションを狙うならば、未経験者が採用される見込みは薄い。ライターでは、取材元に情報を依存した発信という自分が嫌った構造からは抜け出せない。

 

自分のできることをベースにした転職にあまり魅力を感じなかった私は、したいことベースで仕事を考えることにした。

 

私が好きなものは旅と金だ。色々なところに行っては、おいしいものを少しだけ食べて、ときには、なにも得るものもなくただただ無為な時間を知らない土地のホテルで過ごす旅が好きだ。そして、そんな自由を実現できるだけの金が欲しい。

 

こんなことを午前2時や3時の布団の中で考えたときに、起業という選択肢が浮かんできた。

 

なにで起業するか

やりたいことから形作る

どんな分野で起業するか→資金が乏しい人間が在庫をもつサービスを企画するのは、最初から破滅に向かっている。仲介業が無難だろう。

 

したいことはなにか→毎日、移動して違うホテルに泊まるような仕事。各地のホテル相手に契約するような業務が毎日あれば、実現できるだろう。

 

稼げるか→コロナ禍により、旅行業は大幅に落ち込んだ。リバウンド需要やライバルの撤退は参入余地があるのではないか。コロナも当面は落ち着く気配がないので、開発の時間的余裕もある。

 

既存の大手、ベンチャー旅行仲介との差別化は→私は天才なので思いついてしまった。

 

こうして、アプリによる旅行仲介で起業しようと考えついた。

 

布団の中で思いついた有象無象の案を書き出す生活を1週間とちょっと過ごして、実際の採算ラインを計算して合わせて2週間。脳内ではすでに成功するビジョンしか見えない状態になった。

 

しかし、私はプログラミングができない。かつてロベールのC++入門講座という分厚い本を買ってみたことがあるが、実際にやったのはたしか20数ページだったと思う。情報系の知識は、歯形も残らない甘噛み程度しかもっていなかった。

 

 

そこで、知人を巻き込むことにした。高校は科学系の部活、大学は理系キャンパスで5年間生活しただけあり何人か心当たりがあったものの、親しくしている中で確実にスキルを持っている人間は限られている。

 

そこで、その限られた人間を釣れるようなツイートを練り、一本釣りすることを考えた。

 

エンジニア一本釣り

数日かけて伏線を張り、本命のツイートにふぁぼが来たと同時に

「へい!一緒に人生壊さない?」

とDMを飛ばした。

 

「壊すかぁ」

との適当な返事を見たとき、畳み掛ければやれると思った。

2週間かけて練った計画を全文コピーして送り付ける。分量でビビっている間に、相手の1の返事に10返して威圧することで、こちらの本気感をアピールする。

 

サブカルの趣味は致命的に合わないが、ほかの部分はかなり信頼している相手だ。なんやかんやでノリと面倒見がいいのはわかっていた。

 

そんなこんなで、エンジニアを確保することに成功。とりあえずプロトタイプを作ることになった。

 

次回、エンジニア確保~開発開始まで